「サイバー攻撃」と「ガルトゥング平和学」(第一回リサーチ・マンデー 『イントロ』)

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サイバー攻撃が政治的な意味合いを持つ事がある。

「サイバー戦争」という風に名付けて、ある国が別の国を意図的にインターネット上で攻撃しているかの如く。

勿論、実際の戦争に喩えると戦地で戦った経験のある兵士からすれば、サイバー戦争に関する危険性や心理的プレッシャーは、比べ物にならないほど低いと思う。

だが、それでも、あくまで比較する事は出来るのではないだろうか。

プロフィールで簡単に述べているが、私はアメリカの大学で一般教養を専攻した。

一般教養とは、ざっくり言うと

「様々な分野を広く学び、ある物事を多角的な視点から見られる様になる教育」

である。

端的に言うと、私は、「関係のなさそうな物事」に対しても、何かしらの共通点を考えるよう教育を受けた。

大学時代に様々な分野の膨大な量の論文を読み、レポートとして書いてきたので、今でも物事を繋げて考える姿勢は持っている。

その事から、私はサイバーセキュリティという分野に関しても、技術的な観点だけでなく、政治、経済、環境といった視点を組み合わせて考えるようにしている。

また私は、一般教養の中でも、特に国際関係学、紛争解決学や平和学に集中して卒業研究を行なった。

大学卒業後はセキュリティエンジニアとして仕事をしており、直接的に大学時代に学んだことは仕事には活きない。

それでも、大学時代に培った多角的に物事を考える姿勢は今でも持つようにしている。

サイバーセキュリティに関するニュースサイトを見ていても、

といった事を考える事が多い。

また、以上の疑問を少しでも明らかにするために、より一層最近はサイバーセキュリティニュースを読む機会が増え、このブログにもまとめている。

いずれは、海外のセキュリティニュースをまとめるだけでなく、私が一次情報発信者としてこのブログを更新していきたいと思っている。

毎週月曜日は時差の関係でセキュリティニュースメディアが更新されない為、私の私見を述べる「リサーチ・マンデー」としたい。

今日はその連載のイントロとして、ここまでにしておく。

来週月曜日は、平和学のセオリーである「消極的平和・積極的平和」「構造的暴力」というコンセプトを使って、サイバー攻撃について考えていきたい。